暗黒のオーボエ時代

音大に入って、リードを削り、練習に明け暮れる日々。
だんだん「音色」というこだわりが大きくなり、
最初にぶつかったのは、フランスのロレーのオーボエでは憧れのウィーンの音は出せないという事。
リード削りで私なりに努力したが…。
当時はウィンナーオーボエは買えるものだとは思ってもいなかった。
1970年代ウィンナーオーボエはウィーン近郊のオーボエ工房に後継者がいなくて危機だったそうだ。
そしてヤマハが研究を重ねて1980年にウィンナーオーボエの試作1号が出来たらしい。
私が入学したのはそれより前…。

私は暗黒の時へ突入した。
出したい音が出せないオーボエ、そして競争。
私は正直、逃げ出した。
そして自分の音楽を求めてひたすら、さ迷い続けた。
歌舞伎座で聞いた能管の音に興味を持ち福原百之助先生に日本音楽について教えを頂きに行ったり、長唄を経験したり、曲を作りライブハウスで歌ってみたり。ギターも触ってみた。
今思うと全ては今の私の音楽の肥やしになっている。

暗黒の音大時代は、それでも福原美男先生やN響の小島葉子先生、茂木さん。
先輩と行ったコンサートでリードを見せてくれた宮本文昭さん。
優しく気遣って下さった素晴らしい先生方のおかげで、さ迷いながらも、辛かったけれど、今がある。

2022年12月20日