パリ、チャマメ留学

1999年5月7日。
雷の中、飛行機はパリに着いた。
晴れたかと思うとすぐ雷。そんな不安定な天気。
一部屋借りたお宅はポンピドゥーセンターが窓から見える便利な地域。
私は初めての海外生活で3日間部屋から出ずにアコーディオンを弾き続け、曲を書いた。(CD行雲流水のBrantômeはこの時に作曲した)
部屋に何も無いので良く響いて気持ちが良い。
4日目、食べるものも無くなってきたので外に出た。そこはフランス、パリ。聞こえて来る言葉はフランス語。行きたかったアルゼンチンではない。
マエストロ・バルボサはヨーロッパ演奏旅行中でまだ連絡は取れず、私は孤立していた。
日本のようなコンビニが無い。スーパーに行く。
レジのお会計の数字をわざと見せてくれないおばさん店員。フランス語で数字、聞き取れない……。
見様見真似で何とか食材を買う。
電子レンジ、オーブン、洗濯機、一切使えず…。
しかしながら、フライパンで焼いた食パンは美味しかった。手洗いのジーンズはなかなか乾かず、ドライヤーで乾かす。
今思えば何でも不自由無く使える日本での生活から一時離れたことは貴重な体験であった。
(日本に帰ってからは電子レンジ、オーブントースター、洗濯機は何て便利なものだろう!!と感激だった。)
花の都パリ。
ここに憧れる人は多いだろう。
しかし私はパリを楽しむまでには少し時間がかかった。

2023年2月16日