パリとパリの中の小さなアルゼンチン

ラウル・バルボサ師匠のレッスンは必ず夕食付き(笑)
時にはレッスンの後に北欧に住んでいる
タンゴ歌手スサーナ・リナルディさん(きれいな人だった)を招いてのパーティーがあって
私は「佐渡おけさ」を弾いたこともあった。
(金子先生時代にアレンジしたもの)
パリでは学校に通っているわけではないので、
なかなか日本の人と話す機会がなく、
バルボサ師匠夫妻はパリでの親代わりになってくれた。
レッスンの後、夜11:00位になってしまい
アパートの暗証番号が変わって入れなかった時も助けてくれた。
スーパーの買い出しも、ご飯作りも一緒にやった、たくさんの思い出。
マエストロ・バルボサが演奏旅行に行ってしまうと
私は孤独で、パリをよく歩き回った。ひたすら歩いた。
1日10km近く歩いた日もあった。
そして、だんだんパリが好きになって行った。

2023年6月12日