心の中の荷物が重すぎて最近の私はひたすらあてもなくさすらっている。
森の中、ゴッホの絵の中、運慶の作品が展示された空間。
今のこのさすらいの時が無意味なのか?私には分からない。でも今の私にはそれがどうしても必要で。
さすらい人は「流離人」と書く。
私がいた場所に、いつの日か戻る時が来るまで、ただひたすらさまよい。
私が捜している何かを見つけられる日が、
来るのだろうか。
心の中の荷物が重すぎて最近の私はひたすらあてもなくさすらっている。
森の中、ゴッホの絵の中、運慶の作品が展示された空間。
今のこのさすらいの時が無意味なのか?私には分からない。でも今の私にはそれがどうしても必要で。
さすらい人は「流離人」と書く。
私がいた場所に、いつの日か戻る時が来るまで、ただひたすらさまよい。
私が捜している何かを見つけられる日が、
来るのだろうか。
木々に落ちて来る雨音の美しさ。
なんてきれいな音!
しばらく目をつぶって聞いていた。
冷たいはずなのに、踏みしめている土の暖かさよ!
「現状維持」って簡単なようで簡単ではないな。成長したくても、前に進めない時だらけの人生。
せめて「現状維持」
休む事も大事。
でもさぼると後退してしまう。
現状維持の為にも歩き続けなくてはね。
先日、科学博物館での古代アンデス文明展に行った。アンデス、チリバヤ文化では死後もミイラとなった人をあたかも生きているようにコミュニティの一員として受け入れられていた。という展示されていたミイラもショックだったが、子供の頃からよく連れて行ってもらっていた鶯谷駅前のお蕎麦屋さんが更地だった事も大ショックだった。
昨日、夜ドラフト会議関連のワイド番組を見ていて、残酷だなぁと感じた。育成だったとしても、名前を呼ばれた若者は良いが…。
子供の頃からの野球への夢を物語にしながら放送し、ドラフト会議の結果は…。と家族そろって待ち名前をついに呼ばれず終わった若者をテレビカメラが写す。
うなだれる両親、指名されず呆然とする若者…。あまりに残酷。
負けるな!
大学を出て社会人野球で頑張りプロ野球選手になる夢を必ずや叶えて欲しいと思った。
つい先日、アルゼンチン大使館のチャマメとマテのパーティーでの大使の挨拶で(大使は赴任したばかりで私を知らなかった。しかしながら原稿を書いたと思われる方は私を知っていた。)17年間の私のチャマメの活動をシカトされる目にあった痛い気持ちを思い出し、人間の気持ちをもっと大事にして欲しいと、つくづく感じた夜だった。
今回、再会したヒセラは2011年にコリエンテスで初めて会ったヒセラとは全く別人だった。
何故、彼女が日本であんなに高慢な態度だったのか、私には分からない。
チャマメはアルゼンチン人だけのものよ!といった彼女の態度、私は彼女の気持ちがよく分からない。
ヒセラが持ちかけて来た共同制作のCD、もう私のアコーディオンは今年4月に録音済み。
アコーディオン奏者がたくさんいるアルゼンチンなのに、何故私がトラディショナルチャマメにアコーディオンを付けなくてはいけなかったのか分からない。
彼女にとって単なる話題性だけのものだったのか。
私は分からない。
私はただバルボサ師匠のチャマメ演奏に夢中になって今があるだけ…。
何故、リトラールのたくさんいる女性歌手の中のひとりに振り回されて悩んでいるんだろう…。
私はただチャマメを演奏する事が好きなだけなのに。
私は欲の塊みたいな人が苦手だ。
何かと人間は欲の塊みたいなものだ。
しかしながら音楽となると、そんな演奏者とはあまり関わりたくない。
リトラールからやって来たギターMartin、アコーディオンSergio、パーカッションGonzalezみんな良い人達だった。
周りが見えなくなって大変に無礼な人もいたけど…。
本当の実力があって余裕のあるマエストロ・バルボサを思い出すと、その人はまだ海外経験がなく舞い上がっているのだと思った。世渡りばかり考えていると音楽家は破滅する。世渡りが長けていて得する事もあるのだろうけど…。
世渡りと音楽を追求する事の両刀使いの出来る人はなかなかいない。私は生き方が不器用でも自分の音楽を育てる事に一生懸命でいたい。
明日、チャマメ演奏者たちが帰国する。
昔「ブラジル音楽は好きだが人間は嫌いだ。」と言った有名なミュージシャンがいた。
あるバンドネオン奏者はテレビで平気な顔をして「南米人はいい加減だ」と言って聞いていてハラハラした事がある。彼らはよっぽど嫌な思いをして来たのだろう。国民性の違いはどうしようもない。私はこの1週間、ヒセラの言動には本当に参った。私は日本人だ。
ここは日本だ。